ji-pankun

メジロマックイーン

SIX COLORS BOY

2021/8/23

サウナ室のテレビでGTOやってて、学校の屋上から落ちた女子高生を鬼塚がジャンプで迎えに行ってキャッチしてた。ノーダメージ。AKIRAなら可能か、と思った。

金曜日。ささーっと仕事をして、家に帰って速攻でシャワーを浴びてドライブ・マイ・カーを見る。20時過ぎの回。すさまじかった。俺は映画を見ている間、カメラがとらえるシーン全て、人物の動き、映る色、聞こえる音に意味を見出して考えようとすることが多くて、そういう意味ではドライブ・マイ・カーは意味しかなくって、見終えた頃には頭パンパンでめちゃめちゃ消耗した。たまたま一緒の回にいた友達とちょっと話そうと思ったが、全く内容を咀嚼できてなくて、疲れたね...しか言えず別れた。帰り道の河原で1時間ほど何かを考えているような、何も考えていないような時間を過ごす。

土曜日。朝8時の回の子供はわかってあげないを見るために早起き。好きなことのためならちゃんと早起きできた。映画は、、、原作田島列島、監督沖田修一の期待値が大きすぎた。もしかするとサマームービーとしてもっかい見たら割と楽しめるかもしれない。主演の上白石萌歌がひたすらによかった。彼女が放つ動き、声は重力を受けない。ふわふわ浮いてた。なのでその分、彼女が海に沈んでいくシーン、涙を落とすシーンには結構感動してしまった。好きじゃないとこいっぱいあるけど、憎めねーってかんじ。映画を見終えて家に帰って昼寝。友達とドライブ・マイ・カーについて感想を送り合う。考えることは好きだけど得意ではなくって、一人で考えるとなるとなおさら。対話することによってぼんやりしてた思いがなんとなくまとまって、自分ってこんなこと思ってたのか、と気づく。映画自体が現実に向けて問いかけるもの、のことばかり自分は気が行って、正直極端なこといえば劇中の人物がたとえ死んだってどうなったって、特になんとも思わない。極論ではあるけど。映画のラスト、その後彼彼女たちは...なんてどうでもいい。いや、どうでもよかないけど、彼彼女たちがその後どうなっていくという劇中での事実が、観客にどう感じさせるか、現実側にどういう影響を与えるか、の方が重要というか。わっかんねーけど。はっきりしてない思いを綴るとき「けど」多めに付きがち。

日曜日。一日仕事。暇な時ドライブ・マイ・カーのこと考えてたまにメモる。なんとなく実家に寄ったら友達の親が亡くなったこと、祖母が入院したことを聞く。そうか。お見舞いすら行けない。

月曜日。日曜仕事だった分休みを取っておいた自分サンキュー。ただ午前中に会議が一件だけあったのでちゃんと起きて出席。仕事着は着たくないので、私服の中で、ギリギリフォーマルに見えなくもないものを選ぶ。インスタの広告に出てくる漫画の無料部分だけ読んだりしてたら会議終わってた。昼ごはん何にしよーと駅前をぶらついていると友達に会ったので、やっほーだかおっすだか話して、周辺のご飯屋さんを教えてもらってそこに行く。カツカレー食べた。しかしまちの中心から多少離れたところに住んでいるとはいえ住み始めて1年は経つというのに、ご飯屋さんの情報だけ自分にはまるで無く、コンビニと自販機の場所、外でも座れる場所や公園の場所だったりが無駄に記憶されていってる気がする。ご飯を食べたあと本屋に立ち寄り、ぜってー読めねー、と思いながらも新潮を買う。創刊1400号記念特大号。全500ページ。ぜってー読めねー。読み進めている本でも読もうと喫茶店に入る。も、お客さんと店主の会話を盗み聞く方が面白くて全然読めなかった。時々会話をメモる。店内のテレビには長髪でタンクトップ姿のニコラスケイジが映っていた。『ニコラスケイジ 長髪』で検索してその映画がコン・エアーであることがわかる。見始めた頃にはすでに終盤で、多分なんやかんやあったニコラスがボロボロのぬいぐるみを握りながら妻子と抱き合って映画は終わった。よかったね。いい気持ちになって外へ出る。ちょっと早いけど、と準備して銭湯へ行き、話は冒頭へ戻る。